ノエラ日記

アニメやラノベについて語り尽くしたい

『さよならの朝に約束の花をかざろう』の感想をネタバレ全開で語りたい件

というわけで、今回は映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』をネタバレ全開で語り尽くしたい。

 

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最初に言おう。

この映画、めちゃくちゃ泣ける。

僕なんて、公衆の面前で泣いた記憶がなさ過ぎて最後に泣いたのは小学校低学年のはずなのに、そんなオタクが映画館でボロボロ号泣してしまった。まあ、人前で泣かないのは、コミュ障は人間関係で泣くほど他人と深く関わらないし、何か必死にやり遂げた経験もないからなんだけど・・・(現に独りで家にいる時はアニメで泣いたりする)

 

とまあ、僕の涙腺事情は置いておくとして、今回はこの映画のどこが良かったかを僕なりに語っていきたい。

ここからはタイトル通りにネタバレ全開なので、ネタバレを見てもいい人だけがスクロールして欲しい。まだ見ていない人は・・・・・・今すぐに映画館に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

単刀直入に本作品を言えば、人間とは違った伝説的な生物で長命な、そして自らの母親がいないイオルフの少女・マキアが、ヒトの子・エリアルを育てていくうちに『母とは何たるか?』を実感していく作品である。

 

しかし、これだけではないからこそ、この映画はスゴイ。

 

ファンタジー溢れる世界観の中で、育てられるエリアルが赤ちゃんの状態から家庭を持つようになり、そして逝去するのを描くことで『人の一生とは何たるか』までも表現し、それを母たるマキアが見届けるからこそ泣けるのである。マキアがたっぷりの愛情で育てたエリアルがディタと子供を授かり、そしてその子供がまた誰かを愛していく。ラストでエリアルの孫がマキアにお花を渡すシーン。それは、「人の一生は、誰かを愛し愛され、それが世代を超えて受け継がれていき決して独りで終わることがない」という象徴である。

 

そして、マキアとエリアルの物語だけではなく、同じイオルフのレイリアとクリムの悲運な人生や国家間の争乱という人間の醜さも容赦なく描いたからこそとんでもなく面白かった。

 

レイリアは自ら産んだメドメルの存在の大きさを語り、血の繋がっていないマキアーエリアルとは対比的な母子関係の強さを表した。離別が子のためになると思って「お互いに忘れましょう」と伝えたのはマキアとは違った母の愛の表れだと思うし、苦しみの人生の果てに自らお腹を痛めて産んだ子供を一目見ただけで「痛くて苦しかったけど・・・この世界は美しい」と評したのは尊い。母にとって、自分の人生よりも子供が大切であることをこれ以上ないほどに伝えていた。

 

この一方で、クリムはレイリアへの愛情で一国家の転覆までも企み、最終的にレイリアがまともに会ったことのない、無理に作らされたはずの子供を大事にするのを聞いて彼女と心中しようとするのも醜い狂った人間性の象徴で良かった。

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このように、人よりも長命で伝説的なイオルフというファンタジーの存在と、どこまでもリアルな人間模様の双方が互いの領分で最大限の面白さを発揮し、ラストのマキアとエリアルの離別でファンタジーとリアルさの双方が融合したからこそ、とてつもない感動を生んだのだと僕は思う。

 

また、随所の表現も丁寧で上手かった。

例えば、ミドがマキアに母とは何かを教える時に自らの腹を叩き、その後、マキアと6歳のエリアルが新天地に移って喧嘩をしエリアルが家を飛び出したのをマキアが雨の中で追って「ママはもう泣かないもん」と言う時に彼女も自ら腹を叩いたのとか。

あとは、マキアがディダの出産に立ち会うシーンではエリアルの死があふれた戦場を同時に描き、生と死の目まぐるしい場面転換をして最終的にエリアルの子の命の誕生を際立たせたのも良かった。

 

さて、これ以上本作品の面白さをいくら語ろうとしても、正直、僕の語彙力・表現力では限界があるし、何よりも言葉で代替できるものでもない。

なので、ここではマキアがいかに「母親」となったかを物語に忠実に再現していき、なぜ僕が泣けたのかを語りたい。

 

 

 

『母とは何たるか?』―マキアのストーリー

 

マキアこそ大号泣を生み出した張本人であり、本作品は、長命たるマキアが自分よりも確実に先に亡くなるヒトの子・エリアルを育て、子供が母にとってどれほど尊い存在意義になるのかを丁寧に、本当に丁寧に描いたからこそ泣けるのである。

 

では、どのようにマキアが母として成長したかを振り返りたい。

 

まずは里から離れて独りぼっちだった時に同じく独りぼっちの赤ちゃんを発見したところから始まる。ここで注目したいのは、マキアが赤ちゃんを見つけるシーンである。マキアは赤ちゃんを発見する前にフラフラと断崖絶壁から飛び降りようとするように見えて(冒頭にイオルフの里でレイリアが高い所から飛び降りてマキアに飛ぶのを誘うもマキアは飛べないシーンがあるが、そこのレイリアの「マキアも飛びなよ」という声を回想しつつ崖っぷちに立っていた)、そこで赤ん坊の声を聞いて思い止まるような感じであった。僕が思うに、マキアは孤独の絶望の中で赤ちゃんを見つけたのであり、だからこそ、赤ちゃんがマキアの生きる希望そのものになったのではないだろうか。

 

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ただ、15歳のマキアが赤ちゃんを独りで育てられるはずもなく、女手一つで2人の子供・ラング&デオルを育てるミドと出会い、彼女の力を借りて仕事をして育児に励む。ここで赤ちゃんをエリアルと名付け、彼が6歳になるまでミドの農場で生活をするのである。

この農場生活では、マキアが母となる上で1つ大きな出来事があった。

それはミド達が育てていた犬の死である。

マキア&エリアルが揃って生物の死という現実に直面し、幼いエリアルは死を把握できないのに対し、マキアは違った。彼女は改めて「自分よりもエリアルが先に死んでしまう事実」を痛感し、あまりの事実の残酷さにエリアルの前から泣きながら逃げ出してしまうのである。そして、ここで逃げ出したマキアにラングはママが何たるかを教える。「泣くなよ・・・ママは泣かないものだろう」と。

このセリフはマキアのママ像を形成するものであった。

 

さて農場で暮らしていたマキア達だが、6年ほど過ごすと見た目がずっと幼いままのマキアは周りから奇異の目で見られて嫌悪され、最終的に移住を余儀なくされる。そして移った先では仕事をまともに見つけられず、ある日、エリアルと大喧嘩をしてしまう。

仕事探しに失敗して疲れ切って帰宅したマキアを待っていたのはエリアルがマキアの大事な織機を勝手に持ち出していたところ。マキアはエリアルが自分の邪魔ばかりをしていると感じ、思わずキレて怒鳴ってしまう。そしてエリアルは雨の降る中、マキアから家の外に逃げ出してしまう。

この時、マキアは自分がこれまでミドに支えられただけで母の自覚なんてないと嘆く。

だが、マキアが残された織機からエリアルの織った布を触ると、気持ちは変わる。ここでイオルフの「織った布で感情を表現し、理解する能力」が活かされ、彼女はエリアルの布から『母さん』という言葉を読み取る。子たるエリアルにとって自分がどれほど大切な存在なのかを痛感して飛び出したエリアルを追う。

母としての自覚の芽生えである。

 

 

そして、雨の中でどこまでも素直に自分を守ろうとするエリアルと会い、「ママはもう泣かないもん。だから、エリアルは守ってね」という世にも尊い約束をする。

この約束こそが大号泣の幕開けである。

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ここから月日は流れてエリアルは思春期を迎え、次第にマキアに反抗してしまう。それは、マキアの見た目が少女のままで全く変わらないことやいつまでも子供扱いされることへの苛立ちに起因する。

最終的には、マキアに「アンタを母親だとは思ってない」とまで言ってしまう。

この言葉を聞いたマキアは泣き崩れてしまう。

これまでどこまでも必死に、そして何よりもエリアルの幸せを願って母親であろうと生きてきたマキアの人生を否定する言葉であったから・・・。

 

しかしながら、これはエリアルの本心ではなかった。

それはラングにメザーテの兵士になる口添えを頼むシーンで明らかになる。

はっきりとは述べないが、エリアルは自分のことを何よりも大事にするマキアに対して恋慕のような情を覚えてしまい、彼自身が自分の気持ちに苦しんでいたのである。そして、彼は「今の俺じゃ(マキアを)守れない。それどころか、傷つける」と嘆き、強くなるためにもマキアから離れてメザーテの兵士となって自立することを決意する。

 

エリアルは少年期の「ママを守る」約束を覚えていたのだ。

 

この時、マキアも偶然エリアルの本心を聞き、その後、彼女はエリアルと離れる哀しさに泣きそうになるものの決してエリアルの前では泣かずに「いってらっしゃい」と送り出す・・・

 

なぜなら、彼女も「ママは泣かない」というエリアルとの約束を守りたいから。

 

そして、彼女はエリアルが去った部屋で独りで泣きながら、「エリアルの嘘つき。守ってくれるって言ってくれたじゃない」と嘆く。

これだけでも泣ける。

 

だが、ここで終わらないのが本作品である。マキアはエリアルが去った日からクリムに攫われてメザーテの敵国バイエラに幽閉される。ただ、幽閉される間にもマキアはエリアルを忘れず、彼が少年期に織った布を大事に、ずっと大事にする。

 

そして、この幽閉から数年後、メザーテとバイエラを含む周辺諸国の間で戦争が起きる。ここで何とも数奇な運命なことに、マキアはエリアルとディダの子供のお産に立ち会う。そこで、マキアはディダの出産を見て自ら苦しんで子を産むことの重大さを思い知る。それはマキアにはない経験であった。

この影響はその後にエリアルと出会うところで表れる。

 

彼女はいかにエリアルの母が実の息子であるエリアルを守ろうとしていたかをエリアルに語り、言うのだ

ーー「私は母さんにはなれなかった」と。

 

そして、ここからのセリフが本当に泣ける。彼女は母親にはなれなかったと語りながらも、クリムに幽閉されてエリアルに会えない間にいかにエリアルが自分にとって生きがいであったかを実感し、その想いを彼に伝えるのだ・・・

 

エリアルはただ居てくれるだけでアタシを守ってくれた。ずっと約束を守ってくれてたんだよ」と。

 

そして、続けて言う。

 

あなたがいるだけであたしになる。だから、母さんじゃなくてもいい・・・たとえどんな名前で呼ぼうと、あなたの呼ぶ名前があたしになる」と。

 

例え血が繋がっていなくても、そして母さんと呼ばれなくても、エリアルの存在こそがマキアの全てであり、マキアの存在意義だったのだ。エリアルがどう思おうと、エリアルが存在する限りはそれが彼女の生きる意味なのだと自覚する。それはエリアルを苦しんで生んだわけではなくても・・・。

 

もう本当に泣ける。なぜなら、マキアのエリアルとの楽しい思い出、辛い思い出、その全てを振り返る回想があって、彼女がどれほどエリアルを大切に想い、そして彼女にとってエリアルが存在意義そのものであったのがよく分かるから・・・。

 

そして、エリアルの返事も最高だった。

あなたから優しさ、強さ、必死さ、そして人を愛する気持ちを知った」と返し、いかにエリアルにとってもマキアが大切な存在だったかを伝え、最後に目の前を去ろうとするマキアにこう呼びかけるのだ。

 

行かないでくれ・・・母さん」と。

 

マキアが真に母親であることをエリアルから認められた最高の瞬間である。

 

ここから月日がたち、マキアとエリアルのクライマックスになる。

それはエリアルの寿命が訪れたとき。

やはり長命であるイオルフのマキアよりも人間のエリアルが先に逝ってしまう。そして、最期の立ち合いが本当にまた泣ける。

マキアはベッドに横たわるエリアルに会うと、「ただいま」と言う。でも、エリアルはもう意識すらもあやふやで返事ができない。そして、マキアはエリアルの苦労が滲み出たしわしわの手を握り、「いっぱい一生懸命だったんだね・・・」と涙を堪えながら言う。

すると、奇跡は起こる。

 

いつ亡くなってもおかしくないエリアルが息も絶え絶えにマキアに言うのだ・・・「おかえり」と。

これにマキアも「ただいま」と返す・・・・・・。

 

母たるマキアにとって、””居場所””はやはり子供であるエリアルなのであろう。そして、最期を見届けた後にマキアは心の中で「いってらしゃい」とエリアルを送り出し、楽しい思い出をたくさん振り返る。そこで思わず彼女は泣いてしまうのだが、この時の彼女のセリフがイイ・・・

 

(泣いちゃって)ごめんね・・・お母さん、約束破っちゃう・・・

 

最後まで彼女はエリアルが少年の頃に交わしたずっとずっと前の尊い約束を覚えているのである。

そして、この後にマキアは「エリアルを愛して、良かった」と語る。

 

長命のイオルフにとって人間との愛は必然の別れ。だからこそ、冒頭でイオルフの長老は「外の世界で出会いに触れたなら、誰も愛してはいけない。愛すれば本当の独りになってしまう」とマキアに伝えた。

だが、マキアはエリアルとの出会いを通じて別れが悪いことではなく、出会い、そして愛することは良いことだと思うようになったのだ。最後は、出会うために別れると伝えてストーリーは幕を閉じる。

 

以上が、泣けるマキアのストーリーである。

 

本作品では、マキアが母となる上でエリアルとの””繋がり””を大切にしたのを限界まで丁寧に描いたからこそ泣けた。まずは「エリアルがマキアを守り、その代わりにマキアはママだから泣かない」という約束が””号泣を誘う爆弾””であった。これはエリアルが6歳ぐらいの約束だが、マキアはずっと、それこそエリアルが亡くなったであろう80歳ごろまでずっと覚えていたのである。だからこそ、エリアルの死に対する慟哭での「お母さん、約束破っちゃう」が泣けた。

そして、マキアがエリアルを想う気持ちの象徴はこの約束だけではない。それはエリアルが織った布や落書きをした石をずっと大事にしたこともそうだし、エリアルが亡くなるときにかけた少し汚れた布。アレは、青年期のエリアルとマキアが喧嘩したときにランプが倒れ、その火をエリアルが消した布だと思われる。マキアは自分とエリアルの絆の証は全て大事にしていたのだ。なぜなら、エリアルとの関わりの全てが、自分が生きる意味なのだから・・・。

 

本作品のマキアを見ると、『母とは何たるか』は単純に血縁関係ではないことがよく分かる。

 

では、何が母たらしめるのか。

 

それは子供の幸せを自分の幸せと同義に考えられるほどの無償の愛なのだと思う。

これはマキアでも見られたし、レイリアでも見られた。

子供の幸せのために自分が必要ならば、自分の何もかもを犠牲にし、どんな仕事をしてでも一緒にいることを望んだ、少年期や思春期のエリアルに対するマキア。

子供の幸せを自分が邪魔しかねないと思えば、目の前から消える選択肢を取ったレイリア。

そして、これはエリアルが子供を授かり新たに家庭を築いた時に彼の前から姿を消したマキアも同様であった。

 

2人とも子供の幸せ第一で、だからこそ彼女らは母親であったのだ。

 

 

 

 

最後に少し自分語りをさせて欲しい。

 

僕はたぶん他の人よりもこの作品が泣けて、それはたぶん僕と母親の関係に起因する。

先に言うと、母親がいないとか、血縁のない母親に育てられたとかではない。ただ母子家庭で育ち、作中のマキアとエリアルの母子関係にいくらか感情移入しやすかった。そして、僕はいろいろあって母との価値観のズレに長らく苦しみ、エリアルが思春期に見せたような母への酷い拒絶反応というのもあった・・・というか、今も続いている。

そんな中で今回の映画を見たら、本当に泣けた。

というのも、客観的にこれまでの自分の人生を振り返ると、母が母子家庭で働き仕事でどんなに疲れても少しでも僕のためにおいしい料理を作ろうとしてくれたのとか、作中でマキアが見せた母の愛というものを自分の母からも感じるし、マキアが母としてエリアルの幸せを願って葛藤し苦労したところに自分の母も同じ苦労をしたのであろうと考えると何だかフィクションとは思えなかった。

ただ、僕はどうしようもないガキで、22歳なのにいつまでもエリアルの思春期のような状態だし、愚かにも、先ほど語った母が僕のためにしてくれたことを当たり前のように思って無下に扱い、それがどれほど幸せなことだったかを面と向かって感謝することもなかった。

感謝するどころが、とあることに関する母から受けた仕打ちを今でもずっと憎んでいるのだ。一応言うと、虐待とかではないし、周りからしたら大したことには思えない仕打ちかもしれない。でも、その仕打ちは僕の人生に酷い悪影響を及ぼしており、僕が自分の人生を幸福とは到底思えないのはこの仕打ちが原因だと思っている。

 

思春期のエリアルがマキアに言った、「アンタを母親だとは思ってない」。

僕は、先ほど述べた仕打ちを憎むがあまりにこれと似たようなことを実の母親に言ったことがある。

母が母子家庭で僕と暮らすためにいろいろと働いて苦しかったであろうに、僕はそのことを全く考えず、作中のエリアルのように母の愛を踏みにじったのだ。僕はその自分の愚かさをこの映画を見て痛感してしまい、マキアの苦労が他人事とは思えずに泣けてしまう。

 

そして、ここからは後味が悪いのだが、僕は未だに醜いガキで、この映画で号泣はしても、改心はできない。僕は、母が自分にしてくれたことを考えれば許し感謝すべきなのに、やっぱりどうしても感情的に母から受けたとある仕打ちを許せないのだ・・・それどころか、どうしようもないほどに直せない母との価値観の相違に自ら歩み寄ることができない・・・・・・。

 

でも、僕はこの映画を見ていつか許せるようになったら良いなと想う。きっと、その時に初めて僕は大人になれるのではないかと思っている。

そして、そのためにも、これから少し頑張らなきゃいけないことに真剣に取り組もうかなという次第である。

 

 

というわけで、最後は何だか醜い自分語りになってしまったが、言いたいことはただの1つ。

 

それはーー「さよならの朝に約束の花をかざろう』は最高に泣ける!!!

 

では、ここら辺で今回の記事を終わりにしたい。最後まで読んでもらえたのなら、それは心から嬉しい。本当に、本当にありがとう!!

では、また今度!!!