ノエラ日記

アニメやラノベについて語り尽くしたい

ダーリン・イン・ザ・フランキスの5話が最高すぎた件

久々のブログだけど、今回はダーリン・イン・ザ・フランキス5話を語り尽くす記事である。1話の時点からTwitterだけでは語り尽くせないぐらいに面白かったんだけど、5話を視聴して満を持してのブログの活用。1話だけの””一発屋””だけで終わるかと思いきや、5話連続で優勝したから語り尽くしたくなっちゃった。

 

 

というわけで、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

 

 

 

まずは簡単に1~4話の振り返りをしたい。

 

1話:謎の巨大生物「叫竜」に男女2人組で乗るロボットで立ち向かう世界観の説明。1話は、ロボットに乗れず空を飛べない主人公・ヒロと、叫竜の血を引く訳ありヒロイン・ゼロツーの最初のボーイ・ミーツ・ガールで、ラストに2人が特別機・ストレチアに乗って叫竜を倒す壮大なアクションが見どころだった。主人公が所属する部隊について幼馴染のイチゴや親友のゴローとかキャラ紹介もしっかりしていて、これ以上ない完璧なスタート

 

2話:ゼロツーメインの1話に対抗する幼馴染イチゴのターン・・・と思いきや、主人公の不感症により一緒にロボットに乗れず、幼馴染の大敗北回。1話のアクション的な面白さを継承しつつ、恋愛要素が強くなってきて面白さが多次元的に広がった感じ。同じ部隊で主人公をライバル視するゾロメやミツルなど、キャラ紹介も深まってくる。

 

3話:1話以来の叫竜との大ピンチ戦闘で、今回は主人公がゼロツーをミツルに奪われるNTR・・・かと思いきや、戦闘後にはミツルがボロボロの疲労困憊状態。ここで、ゼロツーとストレチアに乗った男は命を削られるという、ダークな真実が強まる。ミツルのヒロへのコンプレックスとか、どんどん青春要素が拡がってきて加速度的に面白くなってくる

 

4話:とうとうやってきたヒロとゼロツーの圧倒的王道の恋愛劇。叫竜の血を引きバケモノ扱いされるゼロツーとお別れ・・・と思いきや、主人公・ヒロは別れを意識した瞬間にゼロツーと一緒に乗りたいという自分の感情を自覚し、愛の告白。これがずっとバケモノ扱いされてきたゼロツーを女の子にし、ラストは2人で叫竜を撃破――最高である

 

こんな感じだろうか。各話ともこれだけでは語り足りないけど、共通している面白さは圧倒的なロボ戦闘と、セリフだけでなく細かい表情や仕草まで丁寧に描かれる青春模様。アニメ会社的に言えば、前者に定評のあるTRIGGERと後者が十八番のA-1Picturesが合作するだけあって『鬼に金棒』な面白アニメになってる。

あと、何がスゴいかというと、各話で面白要素が変わること。例えば、1話はラストのロボ戦闘、2話は幼馴染が敗北する恋愛模様、3話はミツルとか多人数を巻き込んだ青春模様、4話は主人公とメインヒロインの圧勝恋愛といった具合に、いろんな面白要素があって各話でその中の1つの要素を最大出力にしている感じ。だから一切ダレることがなく、毎回が優勝なのである。

 

とまぁ、4話までについてはここら辺で終わりにし、本題の5話に入りたい。

 

5話は簡単に言えば、命を削って生きがいを求めるヒロに対する幼馴染イチゴと親友ゴローの心配が、ヒロとゼロツーの歪な絆の前に敗北する淡い青春群像劇である。その過程がどこまでも丁寧に描かれたことが過去最大の優勝を生んだのだと僕は思う。

 

ここでは、主に「①幼馴染イチゴとゴロー ②ゼロツー」についての2本立てで語りたい。

 

イチゴとゴロー 二者二様の心配と芽生える感情

まず、5話はヒロが命を削ってまで空を飛んで生きがいを求めることへの、幼馴染イチゴとゴローの心配劇だが、ヒロが飛ぶことへの是非という点で両者は本質的に異なる。イチゴは飛ぶことを認めるのに対し、ゴローは飛ぶことに反対するのである。

 

「では、なぜ2人は異なるのか?」

 

それは2人から見るヒロが大きく異なるからである。

 

まず5話のヒロは4話の2度目のストレチア操縦でカラダがボロボロであった。しかしながら、ボロボロの容態がバレたらストレチアに乗って空を飛ぶという生きがいを奪われかねない。だから、ヒロはみんなの前では気丈に振る舞い続ける。

そんな表面的には明るいヒロを見て、イチゴを含めたみんなはヒロが飛ぶことに肯定的になるのである・・・ただ1人、同室のゴローを除いて。誰よりもヒロの危険な容態を間近で見るゴローだけは違う。

 

つまり、イチゴが見るヒロは「ストレチアに乗れるようになりチームに馴染もうとする明るいヒロ」なのに対し、ゴローが見るヒロは「ボロボロになりながらも生きがいのために命を削り、誰にも頼らないヒロ」。

両者の見るヒロが異なるからこそ、イチゴは飛ぶことを認め、ゴローは反対するのである。

 

そして、5話でスゴかったのはこのゴローの葛藤である。彼はヒロの苦痛を誰かに訴えて助けたいが、本人から覚悟の決まった表情で他言無用を頼まれ誰にも言えない。

 

 

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誰かに助けを求めてヒロの肉体を守るか、ずっと黙って彼の生きがいを優先して精神を守るか。

苦渋の選択である。

優しすぎるゴローは後者を選ぶも、彼の心配はヒロに届かず苦しむのである・・・このゴローの苦しみを何度も表情で表したのがこの作品の真骨頂であった。

 

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こう言うと、ゴローばかりが心配してイチゴが能天気に思える。

 

だが、それは違う。

 

彼女もその優しすぎる心でヒロを想うのである。

彼女の心に不安が生まれたのは、他部隊とのミーティングでゼロツーの危険性を聞いた時。

他部隊のメンバーが2年前にゼロツーの独断専行でパートナーを失った話をした時、イチゴが服の裾をギュッと握る一コマがある。本当に何気ない1シーンだけど、この丁寧な仕草の描写こそが本作品の凄さである。イチゴの不安の発端をきっちりと演出している。

 

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そして、ここからイチゴの心配は加速し、それがラストのゼロツーへのヒロの安全懇願に繋がる。

その結果はーーー言うまでもない。

 

ゼロツーから「ヒロが乗りたいと言ってきた」ことや2話で一緒に乗れなかった事実を指摘され、挙句の果てにゼロツーの命に対する非人間的な軽薄さに打ちのめされてしまうのである。

 

ゴローはヒロ自身に心配を否定され、イチゴはゼロツーに否定される。最初はヒロの飛翔の是非で異なっていた両者も、最後にはヒロに心配が届かない点で同じ立場になる。

 

ただ、圧巻はここからである。

 

ゼロツーに打ちひしがれたイチゴはゴローと出会い、これまでに味わったことのない感情の奔流を味わう。ヒロに何もしてあげられない無念さ、ゼロツーがヒロを利用しようとする嫌悪感、ヒロが自分ではなくゼロツーを必要とする嫉妬、もう頭がぐちゃぐちゃになり泣いてしまう。

そして、ゴローはそんなイチゴを慰めようと手を伸ばした時に、謎の感情が芽生える・・・。

 

 

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推測だけど、この瞬間のゴローはイチゴに対して恋慕に近い感情を抱いたのではないかと思う。目の前で泣いている女の子を可哀想に想い、そっと手を差し伸べて恋をする。パートナー的にもイチゴとゴローが結ばれたらお似合いである・・・まあ、女の子との交際経験がない僕に恋心かどうかなんて分かるはずがないんだけど・・・・・・。

 

閑話休題

 

ゼロツー バケモノじみた少女

4話では女の子らしさ全開のゼロツーであったが、今回は非人間性が顕著であった。

それはイチゴとの対話シーン。ヒロの命がなくなる可能性についてはっきりと「死んだらそれまで」とまるで道具を扱うように言ってしまい、イチゴに人でなし扱いされてしまう。実際に叫竜の血を受け継いでいるし、バケモノに思えてくる・・・。

 

「だが、果たして、ゼロツーは本当にバケモノなのだろうか?」

 

僕はーーー否と応えたい。

 

まずはゼロツーの死生観について、3話のヒロと絶景を眺めた時の会話を思い出したい。

この時、ヒロはゼロツーに名前を付けることを提案するのだが、「どうせ死んじゃったら、なんて呼ばれてたのかとか関係ないじゃん」と断り、そこから命を失うことを厭わないような空中アクロバティックを見せるのである。

 

 

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ここで分かるのは、ゼロツーはヒロや他の人間だけでなく、自分自身の命に対しても無慈悲なこと。おそらく、これまでに数多の死を目の前で見てきて、そして周りから散々バケモノ扱いされてきた中で無感情に考えないと心が壊れてしまうのであろう。これは、1話の戦闘で、パートナー無しで死ぬのが分かっていても突撃しようとしたことからも読み取れる。

 

 

でも、だからこそ、彼女は自分をただの女の子として接するヒロに執着するのである。

やはり1話の出会いシーンは決定的であった。

このとき、ヒロはゼロツーが池で溺れていると思って助けようとしたりしてイケメンポイントを稼いでいたが、何よりも印象的なのはゼロツーがヒロに「ボクのツノを見ても怖がらなかったね」と言ったことである。

ここからゼロツーのヒロへのある種の依存は始まり、1話ラストではヒロのパートナーにより命を救われ、逆にヒロは空を飛べないコンプレックスを乗り越える。その後の4話ではヒロから告白し、今回の5話のラストでは・・・歪な共依存の完成である。

 

ゼロツーがいくらバケモノに見えても、彼女の中身は、自分を人間扱いしてくれる男の子に恋し依存する1人の女の子なのである・・・まあ、風俗でしか女の子を知らない僕からしたら、女の子がどんなものなのかは永遠の謎なんだけど・・・・・・。

 

 

 

 

というわけで、以上が今回の記事である。

この記事を通して言いたいのは、この作品は本当に細かい表情や仕草までも徹底的に演出されていて、だからこそ、壮大な世界観の中で少年少女の青春が限りなくリアルに描かれ、それが最高傑作の面白さを生んでいることである。

 

他にも語りたいことはあるけど(ヒロがゼロツーを案内したシーンでの「衣食住が全て管理されている」発言や他部隊の登場で徐々に世界観が明らかになってきたこととか)、語り始めたら止まらないし、今日はここまで。

 

いつものことだけど、もし最後まで読んでくれた人がいたらありがとう~!

ダーリン・イン・ザ・フランキスの感想はこれからも書いていこうと思っているから、もし良かったらまた読んでもらえたら嬉しい。

では、また今度!!